ホロコースト犠牲者を想起する国際デーに考える、アウシュヴィッツから学んだこと

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考えすぎて、日付を越えてしまったが、1月27日はホロコースト犠牲者を想起する国際デーでした。それに合わせて7年前にアウシュヴィッツを訪問したことをきっかけに学んだことを書きたいと思います。

アウシュヴィッツ入り口

ホロコースト犠牲者を想起する国際デーとは?

第二次世界大戦中、ナチスドイツが組織的に行ったホロコースト(ユダヤ人の大量虐殺)。約600万人のユダヤ人、そして、多数のポーランド人やソ連人捕虜、ロマ人、同性愛者、障害者などが殺害されました。そのホロコーストの象徴ともいえるのが「アウシュヴィッツ=ビルケナウ強制収容所」。ここが1945年1月27日に解放されたことから、2005年に国連は「ホロコースト犠牲者を想起する国際デー」と定めました。今年はコロナ禍で祭典などは行われなかったようですが、ドイツをはじめヨーロッパ各地でフォトアクションなどもおこなれていました。

アウシュヴィッツ収容者

アウシュヴィッツを訪問した時に気づいた、私に決定的に足りなかった「視点」

まず足りなかったのは、当時日本がドイツの同盟国であり、多くの国へ侵略戦争をしたという立場の視点。そしてもう一つは、「なぜこのような悲劇が起こったのか」という原因に関することを学ばなければないという視点でした。
アウシュヴィッツへはピースボートのツアーでスタッフとして同行する機会を得ることができ、事前に自分なりに勉強をしていきました。どれだけの人が、どのように殺されていったか、人体実験の数々、そこで起こった悲劇についてたくさん本を読み、映画を見て、学んだつもりで訪問しました。
しかし、ガイドを務めてくださった中谷剛さんに案内していただきながらアウシュヴィッツ強制収容所を見学していると、ずっと問われるのです。「どうしてこの悲劇はここまで拡大したのでしょう」と。アウシュヴィッツで起こっている出来事を本当にみんな「知らなかった」のか。連行される姿を「見ていた人」もいた人も各地にたくさんいたはずなのに・・・と。私は、起こった出来事の悲惨さにばかり気を取られていて、それがどうして起こったのかについて、考えが圧倒的に足りていなかったと感じました。

なんのためにナチスドイツのことを学ぶのか

中谷さんに案内してもらっている時に、20人くらいのグループが見えました。「あればドイツから研修にきた大学生ですよ」と教えてもらいました。コロナ前には世界中から年間200万人近い訪問者があったそうですが、その中でもドイツ人のグループは特に訪問が多いそうです。ボランティアとして活動しにく学生も多いとか。ドイツではナチスについての批判的な歴史教育が徹底的に行われるそうで、教科書では、ヒトラーやナチ党幹部が何をしたかだけでなく、ナチス支配下の市民の生活や態度について学ぶそうです。当時市民がホロコーストを知っていたこと、知っていたけど何もしなかったこと、知ろうとしなかったこと・・・それを学ぶことによって自分ごとに、つまり一般市民の責任(影響とも言える?)としてホロコーストに対峙していくのだと感じました

憎悪のピラミッドの構造を知る

アウシュヴィッツから戻って、教師をしていた方に教えてもらったのが、この憎悪のピラミッドでした。

憎悪のピラミッド

根底に、ある属性の人達への「偏見」があります。例えば、韓国は反日だもんねという冗談や、あの高校は問題が多いらしいというような噂や決めつけ(ステレオタイプ)などです。
その次に起こるのが「偏見による行為」。同性愛者なの?と笑うとか、女なのに家事できないの?など。

「差別」では、外国人には部屋は貸さない、ヘイ ト・スピーチといった事象が起こります。
悪化していくと「暴力行為」へとつながり、最終的には「ジェノサイド」 (特定の属性を持つ集団の虐殺)へとつながっていくという図です。
ホロコーストやルワンダの虐殺などを研究して作られたものなのだとか。これを見ると偏見や偏見からくる行為を放置すれば、差別・暴力・虐殺に向かっていくということがわかります。ドイツで行われている教育は、社会がこのピラミッドの上の方に向かって行かないようにしているのだと思いました。

 

自分が放置してきた、日本の加害の歴史を学ぶこと

このことをきっかけに、私は再度歴史を学び直そうと思いました。何年に何があった、ではなく、どういう風に社会が戦争に向かい、それを支持したのか知りたくなったのです。

生物兵器を開発するための人体実験を行っていた、旧日本軍の通称731部隊についての番組や本。従軍慰安婦だった朝鮮半島の方やインドネシアの方の証言、南京大虐殺の現場にいた元旧日本軍兵士の方の証言ドキュメンタリー。知れば知るほど、ナチスドイツの歴史と似ていると感じることが多くありました。少し勉強したくらいでは本質は全く掴めないけど、それでも、市民の一人として、偏見や差別に、早い段階で抗って行かないといけないということを学びました。

 

 

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