ICANがノーベル平和賞を受賞したら、会ったことがない実の父から手紙が来た話

ICANがノーベル平和賞を受賞したら、会ったことがない実の父から手紙が来た話ブログ

私のこれまでの人生の中で、驚いたことランキングの上位となっている、未だに会ったことのない父から手紙がきた時のことを書こうと思います。家族のカタチについてとても考えさせられる出来事でした。
※ICAN(核兵器廃絶国際キャンペーン)とは、2017年のノーベル平和賞を受賞したNGOの連合体です。ピースボートは日本で唯一、国際運営団体となっています。

32年間、一度も連絡をしていなかった実父からの手紙

先日のブログ( 扶養照会で22年ぶりに養父の消息を知った話 )では、32歳の時に久しぶりに養父の消息がわかったことを書きました。実は、その扶養照会の2ヶ月後に、今度は会ったこともない実の父親から、突然手紙が届きました。しかも職場に。

うそみたいな本当の話です。

職場に届いた、角2の茶封筒

最初は、何かの応募書類が届いたと思いました。
当時の私は、担当プロジェクトに関する応募書類が送られてきて、チェックすることが仕事のひとつでした。それで、茶封筒で何か送られてくることも珍しくなかったのです。
他の書類と違っていることがあるとすれば、私の名前が書いてあったことくらい・・・。
送り主の名前も、ちらっと確認したのですが、実父からの書類だと全くわかっていませんでした。(割と一般的な名前)なので、何の気なしに開封してしまったのです。

私はあなたの父親です

開封してびっくり。私はあなたの父親です。と書いてありました。手紙の他に入っていたのは実父の写真と戸籍謄本でした…

書いてあったこと
・時系列で書かれた経歴
・母と別れた時のこと
・養育費を月に2万払っていたこと(母は1万と言っていた・・・)
・私との面会は権利だったけど、新しい家族が欲しかったので、一度も面会を要求したことはなかったこと
・母と離婚した後、再婚し子ども2人をもうけたこと
・再婚後、離婚したこと
・あまり子供たちとの仲がうまくいっていないこと
・離婚に関して誰も悪くない、だからお母さんを責めないで欲しいということ

という感じのことが書いてありました。
ある意味で正直すぎる手紙に、苦笑いしてしまいました。
つっこみどころが多すぎる。

Facebookで探せる時代

実父は、母が再婚して、離婚したところまで知っていました。なので、私の苗字の候補は2つ(養父の苗字と母の苗字)で、それで検索をかけたら、いたそうです。笑
私の小さい頃に放送されていたTV番組『嗚呼!バラ色の珍生!!』という、人探し&公開捜査番組みたいに、めちゃ苦労して探す、とかはもう昔の話なんだな。と思いました。数年前に見つけていて、連絡する機会を伺っていたと書いてありました。
私はSNS本名でやってるし、出身地とかで絞ればこの子だなとわかるわけです。うん、SNSすごい。

たった一度だけ、会いたいと思ったことがあった

正直にいうと、一度だけ実の父親に会ってみたいと思ったことがありました
それは母が2回目の離婚をした時です。
当時9歳だった頃なんですが、母と養父の間で、弟の親権争いが激しくて、今思い出してもちょっと辛い、そんな日々がありました。
養父が、何気なく

「お前は俺の子どもじゃないから、親権はいらない。でも◯(弟の名前)は俺の子だから、親権は俺がもらう」

といったのです。
それがちょっと思った以上にダメージで、「親権はいらない」っていう言葉が、「お前はいらない」という変換がされてしまって、ずいぶん動揺しました。

養父と母が別居し始めてからは、引っ越し・転校に加え、母が仕事をたくさんしていたので、環境の変化が大きい時期でした。母は弟の親権を得るために、経済的に自立してることを裁判所にアピールしないといけなかったので、とにかくずーーーーーーーーっと働いていました。私は必死で役に立とうと思って、弟の保育園のお迎えや、食事や、家事全般、できることはなんでもやっていました。母が自分を必要としないわけがない、今も当時も疑ってなんかいなかったけど、それでも、養父から言われたことの棘がなかなか抜けませんでした。

必要としてくれる人を探して

今思えば、普通に寂しかったんだと思います。
引越して、転校して、お母さんが忙しくて…。
私も「家なき子」(安達祐実さん主演のドラマ)みたいになるんじゃないかと不安になったこともあって、無条件に誰かに認めて欲しかったんだと思います。1995年当時、10歳の私が使ったのは「タウンページ」でした。1度だけ聞いたことのある名前と漢字を探しました。名前は一般的な名前だけど、漢字の組み合わせにヒットした家が一軒だけありました。むかーし聞いた、だいたい住んでいるかも?なエリアにも条件が合致したので、ここだ!と思い、受話器を持ちました。

1トライ目・・・番号を押して、コールなる前に切る
2トライ目・・・番号間違えてしまったのに、コールがなってしまって焦って1コールで切る
3トライ目・・・番号あってるのに、1コールで切る
4トライ目・・・番号あってる!コールなる!!!

ドキドキ。ドキドキ。

「はい、◯(実父の苗字)です」と女性が出た時点で、「ガチャ!」っと切ってしまいました。
すごく悪いことをした気持ちになりました。

「ああ、そうだ。再婚して子どもがいるって、お母さんの友達が言っていたな」と思い出して、その後かけるのをやめました。自分の存在が、その家族を壊すかもしれない。邪魔しちゃダメだと思いました。違う人生を生きているんだな。そう実感して、関わろうとすることをやめようと決めました。
実の父親に会ってみたいと思ったのは、後にも先にも、この時だけでした。

それぞれの人生

手紙に書いてある実の父は、ある意味とっても正直な人でした。
離婚後、面会の権利があったけど、新しい家族を持ちたかったから、面会は1度も要求しなかったと書いてありました。
たぶん、私はこの一文が許せなくて、手紙の返事を書いていないと思います。本人は気づいていないと思うけど、今の家族がだめだから連絡しましたってことだな、と私は感じました。10歳だった私が、寂しくて電話しようとしたように、彼もまた寂しいから手紙が来たんだなと思いました。わかってるなら放っておかないのが優しい人間だと思います。でも、私は、無神経に傷つけられそうな匂いがするとところには行けそうにありません。大人になっても、子どもの頃にしんどかったことが大丈夫になる保証はなくて、私は私の人生を一生懸命、このまま生きていくことにしています。

手紙がきてよかったこと

1:人の数だけ「事実」があるとわかったこと。

母が言っていることと、実父が言っていることは、いくつか違うことがありました。でもどっちでもいいなと思って、確認していません。人が「事実」だと思っていることは、見えている範囲や想像力やその時の心の余裕で、全然違って見えるんだなと思いました。いろんな意味で、話が噛み合わなかったから、離婚したんだろうなと思って、知れてよかったなと思いました。

2:家族のカタチはそれぞれだと腑に落ちた

私は、生い立ちも影響してか、「血縁」とか「家族」とか「親戚」のことを思い出すのがしんどいです。「ふつう」の家族になれたことがないし、自分の問題じゃないのに「血縁」にこだわられたりして、自分がどうしたらいいんだろうと思うことが多かったです。
でも、今回の件で、私の家族は、母と弟。それでいいんだと思えました。私が選んだ、大切な家族。それでいい、それがいい、そう思いました。

3:ICANのノーベル平和賞受賞を喜ぶ人を知れたこと

この手紙のきっかけは、ICANがノーベル平和賞を受賞したことでした。実父は被爆二世で、平和運動に熱心な人だと手紙でわかったのですが、こんな範囲まで喜ぶ人がいるんだなあと実感しました。

Be the change that you wish to see in the world

あなたが見たい世界の変化に、あなた自身がなりなさい。というガンジーの言葉をこのブログのタイトルにしました。
私は、これまでの人生で、自分の生い立ちのアンラッキーな部分はあまり話さないようにしていました。でも少しずつ人に話していくうちに、「私も同じような経験をしたよ」とか「話を聞いて勇気がでた」とか、そういう声をもらうことが出てきました。もちろん嫌な言い方で意見してくる人もいるけれど、それよりも、私のストーリーに共感してもらい、語ることによって誰かの勇気になるということが自分にとって貴重な経験でした。
多様な人生や、多様なセクシュアリティ、多様な家族のカタチ。いろんなものが共生できる社会が、私の見たい世界なら、すでにそうなっている自分が、ここにいるということを表現していきたいなと思います。私が変化自身になるっていうのはまだまだ道のりは遠すぎますが、コツコツ目指していこうと思います。

タイトルとURLをコピーしました